その86「常備薬」

「常備薬」

 今は昔。春秋の年2回だったかと記憶するが、家々を柳行李を背負った富山の薬売りのおじさんが訪れたものだ。子供たちが集まる。おじさんは、紙ふうせんを取り出してふくらませてみせる。土の上に、棒っ切れで絵を描いて遊んでいた田舎の子供には、見知らぬこのおじさんは、柳行李を背負ったサンタクロースそのものだった。ポンポンと紙風船を宙に飛ばして子供たちをとりこにし、そうして「置き薬」を置いてゆく。薬は使わなければ無料なのだから、化粧っ気のなかった母親も笑顔で迎えた。これが「常備薬」の元祖である。

さて。土砂災害や洪水、地震による津波警報、ハザードマップの見直しなど、報道による災害情報は決して他人事ではない。この所、手元に防災グッズを置こうかどうか思案している。かの赤十字マークのついたリュックには、非常時に必要な最低限のものが詰まっている。

災害は忘れた頃にやって来る。東日本大震災の停電で交通信号機が点滅しなかった時の計り知れない恐怖とか、ガソリンスタンドへの長蛇の列が、まざまざと思い起こされる。

だが、豪雪地帯青森市には、災害級の雪という怪物が毎年のように訪れる。万が一の防災グッズのその半歩先には雪対策があるのだから困るのだ。ここが逡巡のしどころである。

我が家は、自宅周辺の小スペースに、ささやかな駐車場を経営していて、毎年、他人様の乗用車の頭上に、長い大きな舌を伸ばす雪庇が出来る。状況に応じて屋根の雪下ろしはしているものの、高所作業には厳しい年齢になってきた。やむなく、最近話題の雪庇止めを取り付けようと思い立ち、見積もりをとった。予想通りの高額である。今の安心をとるか、老体に鞭うつか、忘れた頃にやってくる明日の災害に備えるか、ぐずぐずと逡巡が続く。

結論として。「防犯グッズセット」は無料配布としたい。使った分を支払い、手つかずであればそのまま無料。常備希望者を募り、その方々には、楽しい紙ふうせんを差し上げたい。