その98「おたまじゃくし」

「おたまじゃくし」

トンデモ本によると、未来からやってきた人間がいて、現代の私たち(祖先)に何やら大事な忠告をしてくれているのだそうだ。対して、私は過去からやってきた。地道に60数年かけて、のこのこ現代にやってきた。この間の歴史認識ですら私には不確かだ。百歩譲っても、彼ら未来人(私らの子孫)による机上の歴史認識が確実だ、とは思えない。

さて。神社で手や口を清める道具が柄杓(ひしゃく)で、汁物をすくうのが杓子(しゃくし)である。杓子は「おたま」のこと、カエルの幼生はそれに似ているから「おたまじゃくし」だ。昔の杓子は、柄が大きく反っていて定規には適さない。このことから、融通の利かない頭のかたい人を「杓子定規」という。気をつけないと、頑固の大将「石頭」になる。野放しにしていると、悪を懲らす「杓子定規仮面」となって、酔いしれ始める。

平内町にいた頃、地元青年団からの依頼で、勤労青少年ホーム落成記念のひとつ「創作劇」への協力を求められたことがあった。経緯は省略するが、立場は責任重大、作・演出だ。

教室風の一室で、団員2~30人を相手に最初の集会が始まった。その中にH君がいた。人なつっこい彼は、隣の女の子とのお喋りが止まらない。さて、どうしたものか。

集会後、まとめ役の副団長Tさんに相談した。Tさんは「それだけは、勘弁して下さい。」と、頭を下げる。「Hは、朝暗いうちから沖に出て、漁から戻ったばかりです。漁師は陽が落ちるまで人と接することのない仕事です。『交流』と言える機会は、今の今しかないのです。Hはこの瞬間がうれしくて仕様がないのです。」恐れ入った。振り返れば団員たちはさりげなくH君のお喋りに目をつぶっていた。不用意にH君を指弾していたものなら、「無神経なよそ者」扱いをされていたに違いない。おたまじゃくしの私が蛙になった瞬間だった。  手帳に、公式を控える。ルールのゆらぎ・イコール・家庭の「二乗(事情)」である。そして追伸。未来人よ、俺たちはいいから、お前は、お前の未来だけを心配した方がいいね。