一昨年開業したばかりの、西九州新幹線「かもめ」が長崎駅に滑り込む。長崎は、今日は晴れだった。長崎は、全体がすり鉢型の街である。周囲は皆、坂で、それも急坂ばかりだ。例えて言うと、段々畑に家が建ち並んでいるかのようだ。だから地元民は自転車を好まない。
11月も半ば。4年ぶりの旅は九州(主に長崎)だった。全国的に雨・風・雪の気配が続く中、奇跡的に天候に恵まれた三日間だった。
老舗ホテル「矢太楼」の、山側の9階から入館する。部屋は下の階だが「地階」ではない。なんとも不思議な気分だった。折しも修学旅行のシーズンで、大浴場は子供たちが優先され、時間制限があった。私は修学ではなく物見遊山である、部屋付きのシャワーで我慢する。
売店のおばさんに「長崎はバッテンですか?」と尋ねると「はい、バッテンです」と微笑んだ。お奨めは、純米酒「龍馬維新」。この酒は実にさわやかで滋味深い。もう一本の、発祥の地がご当地だという「麦焼酎」は癖がなくていい。友人と一緒にひとしきり、唸る。
坂本龍馬が設立した日本初のカンパニーが「亀山社中」で、ご案内の通り、後の「海援隊」である。地図を広げるとその跡地は、北側に見える「あの、風頭山」の頂きの向こう側だ。左手には一千万ドルの夜景が瞬いている。出島も、近い。歴史の現場で盃を交わす妙味。
行く先々で修学旅行生とすれ違った。平和公園の平和祈念像の前では、生徒代表が「平和」を誓っていた。私は、報道では決して見られない「像の背中」を撮影し、すぐ近くの高台から小さく見えていた浦上天主堂に一礼する。原爆落下地点は、公園からやや南側になる。
福岡・大宰府天満宮の参道には、熱々のお焼き「梅ケ枝餅」の幟(のぼり)が林立していた。拝殿(現在は仮殿)には、学問の成就を願う生徒の列があった。現代っ子が手を合わせる姿はいじらしい。菅原道真公由来の「飛び梅」をスマホで撮影した。境内で、イチョウの葉を一枚拾う。旅ではいつもそうしている。ここだけにしかない、一期一会の記念品である。