その102「そっくりさん」

「そっくりさん」

他人の空似は無条件に面白い。あれやこれや間違い探しも出来るし、面白い。

面映ゆいけれど、私自身のそっくりさん経歴をたどってみた。あくまでも、周りの見立てである。時系列で、坊主頭の中学時代には王貞治(監督)、長髪の大学時代はジュリーこと沢田研二、社会人になってからは詩人で劇作家の寺山修司、その折節に、アナウンサーの小林完吾。嘘ではない。只、一部におこがましい点(沢田研二)があることをご容赦願いたい。

今は昔。母自ら、女優の「岩下志麻に似ている」と、戯言(たわごと)をのたもうたことがある。親孝行のつもりで、反論はせず。まじまじと顔を見る。倅が言うのも何だが、部品は似ていないこともない。百歩譲って、もし岩下志麻の「福笑い」があったら、首肯したい。

母が鬼籍に入ってからしばらく、どなたかの結婚披露宴に出席した時のことだった。私のテーブルには伯母(母の姉)がいて、それも私の隣りの席だった。思いもよらない席割に、伯母もまた私を珍しがり、やたらと語りかけて来る。

「4番目(の妹)が亡くなった時、あんたの母さんと一緒に、北海道まで悔やみに行ったべ。」初耳だった。「そしたら帰りに、漁師だった旦那さんからデッタラダ魚バ、二匹もらってサ。若者たちが『親方から頼まれた』って、列車サ運んでくれた。」はい。「青森駅に着いて、考えてみたら婆さんが持って歩ける重さではないし、だから、からがってあった魚の縄バほどいて、構内バ引きずって歩いたのサ。」様子が眼に浮かぶ。「深夜だよ。私は、迎えに来てくれた人に魚バあげたけど。あんたの母さんは、その気もなく自分のものにしてまったじゃ。」噂にたがわず、口さないけれども面白い人である。

思うに。神様は、なだらかな坂のようにゆっくりと母を奪ってゆく。DNAは慈悲である。つまり、話の途中の一瞬間だったが、伯母の横顔は私の母その人だったのだ。