その68「メメント・モリ」

メメント・モリ

 小説は、ストーリー展開だけでなく、作家の卓越した表現力と独自の哲理などに触れ得る好機だ。フィクションはイコール只の創りものだ、と敬遠するのはもったいない。
最近の一冊で特に印象に残った一場面が、行方不明のまま頓死した夫君を思う女主人公の焦燥だった。「彼女は、夫が亡くなった状況そのものより、その理(ことわり)を知りたかったのだ」という一節である。胸に響いたのには、理由がある。
 数年前の夏のこと。久しぶりに会った先輩Mさんと朝の挨拶を交わして直後、彼は私の目の前で意識を失い、そのまま黄泉(こうせん)の客となった。傍にいたお仲間たち数人の対応は、驚くほど迅速だった。脈をとり、掌を彼の口元にかざして呼吸の有無を確認する。周囲に怒鳴るように命令して救急車を手配した。直後に彼のベルトを緩め、心肺蘇生にかかった。私は、邪魔にならないように見届け役に徹することにした。くも膜下出血だった。奥さんに連絡を取ろうにも、私はMさん自身の携帯番号しか知らない。どうにもならない。
 先輩Mさんとは以前の職場が一緒で、彼は職場結婚だったため、私はご夫婦共に親しく交流していた。さて。幾日か過ぎて葬儀日程が地元紙に載った。ねぶた祭りの準備期間にぶつかってしまったため、お悔みについては、日を改めご自宅に伺うことに決めた。
祭りが終わって、その日が来た。仏間に通された。請われるままに「その時」の詳細を話す。彼女は了解し、長い息を吐いた。彼女は、問わず語りに口を開いた。あの日、知らせがあってすぐ、搬送先の病院が決まらないまま、職場を飛び出していたという。「 何があったのか?どういうことか?」なすすべもないまま車は市内を徘徊するしかなかったという。
理(ことわり)を知りたい。あの小説を手に取るまでは思いもよらなかった。ある程度、運命の輪郭が定まらないうちは、生涯の節目となる一大事の「けじめ」はつけられない。