その103「風化が、一番怖い」

「風化が、一番怖い」

平成29年10月の日暮れ刻。部屋の窓に穏やかな海が広がっていた。「富山湾ですか?」「いえ、七尾湾です」と、仲居さんが応じる。ホスピタリティ(おもてなし)日本一と評判の和倉温泉・加賀谷旅館である。とにかく大きなホテルで、翌朝は、部屋までスタッフが迎えに来て、迷路のように入り組んだ廊下を朝食会場まで連れて行ってくれた。かれこれもう7年前のことになる。ツアー最終日は、バスに揺られて富山県に入る。道の駅・氷見(ひみ)に立ち寄った。これらの親しい地名は、今回の能登半島地震の報道で何度も耳にする。耳にする度に、胸が痛い。

J子さんという方がいる。仄聞したところ、東京都内で病院事務をしていて、確か3児のママだ。かつて青森の大学のサークルで演劇をやっていて、色々な場面で交流を重ねた。名字が変わったからスルーしていたが、今はひょんなことで、FB(フェイスブック)でつながっている。

彼女は、福島県南相馬市の出身で、家族(彼女を除く)は東日本大震災で被災した。おばさんを津波で失ったと聞いた。一家は石川県に移住を決め、そしてまた今回の地震に遭遇する。彼女の許可を得て、最近のFBの文面を紹介したい。(紙幅の都合で一部は、要約。)

「元旦の震災後、初めて、石川県の両親の家(借家)に向かった。移住から12年になる。先月(1月)から、少しずつ畑の小屋に荷物を運んで、数日前には全部出し終えたという。道路は波打ち、電柱の角度や建物のずれから、家の中にいても平衡感覚が保てない。車酔いみたいになる。住めない。粗大ゴミセンターは早朝から長い列だ、と弟が話す。少しでも手伝いたい。だが、期待はされていない。ガスと水が通ってから一週間ほどだという。私はひたすら食事を作る。」「東日本大震災のあとの国政選挙で、赤羽駅前で元F町の町長が『ふくしまを忘れないでください!』と連呼していたのを思い出した。その言葉の意味が、少しだけ理解できるようになった。風化が一番怖い。」 事態は私の想像をはるかに超えていた。恐らく、報道では伝えきれない。