その104「個性の見られない書棚」

「個性の見られない書棚」

カブ価が上がっているらしい。漬物を買うのを控えたい。茄子ダックというのも気になる。それはさておき。遅ればせながら「経済」に興味を持ちはじめた。

「歴史」は勢力争いの繰り返しだとばかり思っていた。実にその通りなのだが、上念司著「経済で読み解く日本史」 (文庫6冊)を通読し、眼からうろこだった。経済の視点から捉えると、歴史年表が、食堂のメニュー札に見えてくる。誤解を恐れずに言えば、やっぱり世界はお金で動いていた。食って行かれるかどうか、命に係わるぎりぎりの次元の話しである。その上での、事件や勢力争い。歴史嫌いだった私は軽率にも上辺だけをなぞっていた。振り返れば、香り高い滋養のあるおつゆをこぼしていたようで、もったいない。

同じく感銘を受けた本のひとつに、児童精神科医の宮口幸治著「ケーキの切れない非行少年たち」シリーズがある。非行少年たちはなぜケーキを3等分できないか、認知機能に問題を抱える子供たちに焦点を当てた本である。現実は、優しくもシビアである。内容もさることながら、「更生」の最終目的は「働いて税金を納めること」だと明記している。

もう一冊あげたい。嵐山光三郎著「文人悪食(ぶんじんあくじき)」。大谷翔平選手の「憧れるのはやめよう」を地で行った本である。偉人ともいえる憧れの作家たち、夏目漱石から三島由紀夫まで37人の食卓の癖を通して、それが悉く作品にも影響しているという本で、笑える程に「彼らには幻滅」させられた。芥川龍之介は「顔を洗わなかった」という。宮沢賢治の「一日に玄米四合」は食い過ぎではないか、等。嵐山氏は編集者を経験した作家であり、他にも、謦咳に接した文人たちの知られざるエピソードが満載である。

その昔、高校で柔道の授業があった。私は強そうにしていたが、帯がタテ結びだと指摘されたことがあった。それ以来、見栄は張らない。本棚もそうである。読んだ本は、他人様にあげてしまうことが多いが前述の本は書棚に置きたい。一貫性のない本棚である。