その71「蚤(のみ)の、心臓」

蚤(のみ)の、心臓

 夕刻。仕事を終えて「お先します!」と職場を出る。明るい挨拶は私の場合、「(家で)お酒します」と同義なのである。手狭な愛車に乗り込んで、ようやくマスクから解放される。

 帰宅前にスーパーに寄った。入り口では入念に手指消毒をして、晩酌のアテをうろうろと探し回る。買い物中にはたと気づいた。マスクをしていない。マスクは車の中だ。周囲を見渡してもマスクなしは私だけだった。店内放送が繰り返している。「マスクの着用と、手指消毒にご協力を。」いつもに増して声高に聞こえてくる。誰か一人くらい無マスクがいるだろうと、もう一度きょろきょろ見回しても、そんな不埒者はいなかった。

 孤立してしまった。咎められる前に店を出なければ。店舗の控室では万引きGメンが私の行動を観察しているかも知れない。怪しまれないように、堂々としなければならぬ。否、却って挙動不信に思われる。蚤の心臓である。情けない。ここ2年で、マスク様は重大な意味を持つようになってしまった。法制化されたかのようだ。笑ってごまかす程度で済まされるものかどうか。意を決してレジの近くに籠を置いた。店員さんに「マスク、忘れたので、車まで取りに行きます」と告げる。店員さんはさわやかな笑みを浮かべて、コクリと頷いた。何のことはなかった。恐るべき断崖だと思っていた崖の高さは、5センチ程度だった。

 事なきを得て帰宅して、そして今、程よく酔っている。来たるべき私の姿を想像してみた。 買い物客に紛れて、ぐちぐち言い訳している老人が見えた。独り言で、聞こえよがしに、「ありゃ、マスク忘いで来たじゃ、マスク。わいわいわい、どんだばして、ナンボ茶化しだばナ。こいだもの。ホンズねナ。」そうやって、悪気のない失態だ、と騒いで免罪符とするのである。いたいけのない爺さん。そんなことを思いながら、海老の揚げ物をつまんだ。エビデンスの唐揚げは美味しい。酔っている。エビデンスとは証拠・裏付けのことである。