
きょう偶々貰ったみかんを見て、ふと、世界を股にかけるひとりの教授を思い出した。山形県出身のS教授は私より6ツ年長だ。一橋大学の大学院を卒業し、平成16年には関東圏にある某国立大学の法学の教授に就任し、シドニー大学の名誉客員教授に抜擢されるなど、一目置かれている存在である。
Sさんとの初対面の日をしっかり覚えている。約50年前のこと。上京したての私は、中央線阿佐ヶ谷のIさん宅に下宿していた。2部屋あるうちのひとつが空いていて、そこに、東北訛りの兄ちゃん、大学院生だという竹中平蔵似のSさんがやって来た。
山形大学を首席で卒業し、卒業式では答辞を読んだ。実家は山形のご典医の流れだという。ご典医って何?と尋ねると、私の見識の程度を知り、うかうか放って置けないと思ったか、いつの間にか弟分にしてくれていた。
私のギターを抱いて、当時流行っていたアグネスチャンを、素っ頓狂な裏声で唄い出す。「法律家は、分野を越えて何でも経験しなくてはならない。『ひなげしの花』くらいは朝飯前なのだ。」いつか私が、「いいアルバイトを紹介された」と下宿に戻ると、「それはネ、マルチ商法というものだよ」と、こんこんと諭された。世間知らずの若輩は、手取り足取り、気の置けない東北人によって社会教育を受けた。
未来の、この教授様にも失敗談がある。冬休みで帰省していた私が、約一ㇳ月ぶりに下宿に戻ると、彼が姿を現した。「よ、来たか」そして、「みかん、2~3個いただいたよ」という。何のことか分からない。「イトくんの部屋にみかん箱があるだろう」心当たりはない。大家さんが私の部屋を物置代わりにして、一時保管したものだと思われた。青ざめたSさんは、大家さんが居住する階下まで、すべり落ちるように謝罪に向かった。成行きを見守っていると、幽霊のようにのっそりと戻り、「笑って許してくれた」とうらめしそうに言った。
あれから半世紀経つ。別のある日、「イトくんの喋りはリズムがあって、間が良いナ」とおだてられたことがある。指先でチョンと、1ミリ程だが、明日に向けて背中を押してくれた人だ。