我身に何かしらの不都合があれば「これで厄落としをした」と独りごち、さほど深い傷でなかったことを幸いに、すべて良かったこととする。晩酌の時にお猪口やコップをひっくり返しても、覆水盆に返らず、早々にあきらめる。これは神様がお神酒を欲しがっていたのだと解釈して、神妙に手を合わせる。何度かこんなことが続けばホントにそんな気がしてくる。くさっているより、どれだけ良いか。幸福の種のすべては、精神衛生なのである。
プレミアム付商品券で買い物をした。財布の中には一万円ほどの商品券があった。この日の現金は千円ぽっきり。商品をカゴにいれて、レジに並んで、お釣りがでないように帳尻合わせにレジの棚にあった煙草を一個買った。これがまずかった。
煙草は商品券では買えない、と言われ、一度カゴから除く。他の商品の総計は商品券三千円分で間に合う。ということは、おつりの出る値段なのだ。が、商品券はお釣りが出せないルールだった。一方、手持ち現金では煙草を買いたい。さて。逡巡している私の後ろにはお客様の長蛇の列があった。店員さんにも私にも緊張が走る。ややこしいので、「釣りはいらない」と大見得を切ってしまった。出なかったお釣りは、大体2、3百円。買い物袋に商品を詰め込みながら、いつものように「神様にお賽銭を差し上げたのだ」と必死に思い込んだ。振り返れば、レジ近くに置いてあるガムやチョコを買えば済んだことだった。
ここで、ご忠告をさせていただく。商品券での買い物では、咄嗟の場合、レジ前のガムやチョコが救いの神となる。機転の利かなかったおのれを呪いながら、天上の神様がガムを噛みながら、私に向かって「ほら」とチョコを差し出している姿が見えた。信心深さはどこへやら。悔しい。くれてやるわい、と叫んだ。罰当たりである。緊張感の欠如だった。このところ、マスクにかこつけて、だらしなくポカンと口を開けていたせいではないか、と。