電子レンジで生卵をそのままチンすれば卵は爆発する・・場合がある。近年では、レンジ用のゆで卵器があるそうだから一概には言えなくなった。技術は日進月歩である。
義兄のエピソードが込み入っている。生卵をチンしても爆発に至らなかったのだ。それどころか、殻をむいてしばらくしても変化は見られず、塩を振りかけ、がぶりとやったとたんに口中で大爆発に至った。嗚呼、汝が神よ。
義兄は、銀行員だった。堅実で隙のない風貌の彼には似つかわしくない事件だった。ご愁傷様なことだが、電子レンジが、奇跡的な「卵の熱し加減」だったことによる椿事である。
長年連れ添っていながら姉は「初耳」だったようだ。最近、叔母から聞いて目を丸くしていた。この笑い話は、義兄の若かりし頃のもので、その義兄はすでに不帰の人である。
何故、女房殿に告白しなかったのか。義兄の気持ちを斟酌してみる。まず最初に、「威厳」「屈辱」「嘲笑」「からかい」「喜劇」「へそで茶を沸かす」などのワードが浮かび上がってくる。重大な理由がもうひとつある。つまり連れ合いが、とても「おしゃべり」であること。
失敗談は、人間関係を円滑にする薬味である。ただ、渡る世間に鬼はなし、とは限らない。何かに失敗する毎に「あの時もそうだったよね」と卵の爆発事件が芋づる式によみがえる。
我が父は、大正後期の生まれで、ガチガチの昭和の親父だった。その父も早い時期に泉下の客となり、晩年の母が愚痴を言っていた。「がっかりしたことがあった。」私が頷くと、「ある夜、蔵まで物を取りに行く」という。「怖いからついてきてくれないか」と懇願されたそうだ。成程。これは墓の中まで持っていくべき話だ。世のお父さん方に告ぐ。覚悟を決めておかねばならぬ。人知れず苦労を重ねると、暴露とは言わないまでも、いつしか誰もが、珍談を交えた自伝らしきものを残しておきたくなるのだ。