ある小説の中の話。主人公の宮大工の青年は、斯界の第一人者と目されていた棟梁からも
一目置かれていた。青年はそれを笠に着るわけでもなく「私など、まだまだ半人前です」と、腰の低いよくできた人物だった。ある日、棟梁が彼を呼び出し「半人前という言葉はもうよせ。いずれ手前ぇには半人前の仕事しか来なくなるぜ」と諭した。謙虚であることの難しさだ。彼は心して、その言葉「半人前」を言わなくなった。
さて。とかく人の世は住みにくい。慇懃無礼なる言葉があるくらいだから、丁寧さの匙加減すら難しい。泰然自若をまねてポーカーフェイスを続けていれば不愛想、ということになる。冗談ばかり続けていれば、あいつは軽薄な人物だとされる。
中学三年生当時、面接の練習があった。高校入試に限らず「面接」には笑顔が大事なのだと教わり、面接の練習時に素直にそれに従うと、面接官役の担任の評価は「にやにやするな」だった。ニヤニヤとニコニコは、どこが違うのか。青森駅前のニコニコ通りは私が歩けばニヤニヤ通りになるのか。笑顔ひとつにしても修行、熟練しなければならないようだ。次第に根性がひねくれて来る。
ある少年が失恋をした。誰もが定番の「いずれ見返してやれ」と彼を慰める。少年は平然として応えた。「いいえ僕は、見返しません。」相手は眉を顰める。もし見返せたとしても、1年や2年で結果を出せるはずもなく、恐らく何十年もかかるし、その時は自分も相手もすっかり、もしかして、お互いの存在すら忘れているかも知れない。だから「僕は、見返さない」のだった。
可愛げのない少年である。偏屈もここまで来れば、頭をなでてあげたくなる。少年とは私のことである。近頃は、大都会にも猿が出没しているようだ。専門家は、目を合わせるなと忠告している。合浦公園の動物舎の猿は心得ていて、私が呼び掛けても決して目を合わせてくれない。やつは私を街のはぐれ猿だと思っているのか。