その80「春眠暁を覚えず」

春眠暁を覚えず

早起きは三文の得。なのであれば、「早寝」は三文の貯金だろうか。利息が付いて、スズメが囀る心身共に爽やかな朝が迎えられる。寝溜めの効きめは信頼できないが、やはり早起きは心地良く、それなりのお得な朝を約束してくれる。私だって分かっているのである。

油断ならないのは、春眠暁を覚えず、だ。二度寝は地獄の一丁目、忍び寄る睡魔の磁力は強烈だ。とうとう誘惑に負けて、天国と地獄のはざまにある無念無想の境地に引きずりこまれてしまう。授業中や勤務中だと、大ごとである。

私にはおまじないがある。「油断するな」と唱えてから二度寝するのだ。結構これが効くから可笑しい。あるいは、寝しなに目標の起床時間を唱えると、目覚まし時計がなくても予定のその直前に意識は戻ってくれる。潜在意識とは凄いものである。もともと「油断するな」と唱えて二度寝するのだから、本末転倒なのだが。

 徹夜のあとの泥のような眠りは、問答無用の時間泥棒で、現行犯逮捕に値する。学生時代の大失敗を告白する。明け方、まだ暗いうちに眠り、やがて目を覚ましても、太陽の気配を感じなかった。それもそのはず、時計を見ると当日の夕刻になっていて、お天道様はもう沈んでいた。忸怩たる思いとはこのこと。私は真実、心から、自分が人間のクズだと思った。こればかりは天照大神様に申し訳が立たない。この一日、聖なる世間から隔離されたのだ。

 私の何よりの楽しみは、日中、寝っ転がって読書して、ようよう睡魔に襲われたら、そのまんますんなりと、うたた寝に入ること。時の流れに身をまかせて、やがてまた本を手に取る。縛りのないその繰り返しが天下太平で、罪悪感のかけらもなく至福の世界が広がる。

ある連休のこと。連日、分厚い書籍に没頭していたら、恥ずかしながら、とうとう「床擦れ」になってしまった。この幸福のどこかには、大きな欠陥がある。

目次
閉じる