その62「コロナ禍の中での演劇」

コロナ禍の中での演劇

 ソーシャルディスタンシングとクラスターへの配慮から、当分の間、観劇などはできないと思っていた。ところが先日、思いがけず機会を得て、とある演劇公演に出かけた。想像通りに、舞台にも客席にも厳しい規制がかかっていた。

 演者はマスクやフェイスシールド、マウスシェードを使用していて、時代物には難しいかもしれないが、日常の我々がそうなのだから、今回の現代劇は違和感なく観劇できた。この公演の実現について、厳格なルールの中での敢行だったと聞いている。まさに敢行だったのである。

 主催者はそれを突破したのだった。聞くところによれば、青森県は他県に比べて特に上演条件が厳しいようだ。軽々には言えないが、羹(あつもの)に懲りて鱠(なます)を吹く、にはならないでいただきたい。素人の勝手な言い分だと思われるかもしれない。

 敬愛するパフォーマーの故マルセ太郎氏は、素人客に芸を批判されても「じゃあ、手前ェがやってみろ」とは「決して言ってはならぬ」と釘を刺していた。「素人にはできないからプロなのだ」という矜持である。エキスパートには、人並み以上の決断力と行動力と責任とが伴う。

 ステージパフォーマーの経済的打撃はどんなものだろうか。以前私は、市内のアマチュア劇団に在籍していた。アマチュア劇団は利潤の追求はしない。利益が出た場合にも、次の公演の準備金として貯蓄に回すのである。個人の懐にホマチは一切入らない。それどころか持ち出しの方が多い。友人知人、手売りチケットは行きつけの飲食店などが頼みの綱で、存外の身銭を切ることになる。

 アマチュア劇団の場合は、無観客だったり、公演中止になれば、活動の継続が相当に厳しくなる。活動拠点となる稽古場の借り上げができないばかりか、自前の稽古場がある場合にも維持費が支払えなくなる。アマチュア頑張れ。

「お前んトコ、コロナ禍でなくても、ほとんど無観客だったじゃないか」と言われればそれっきり、だが。