その88「アディショナルタイム」

「アディショナルタイム」

戦後すぐのこと。

伯母いわく、家に米軍(進駐軍)がやってきて、「ホースを貸して欲しい」と言ったそうだ。伯母は大急ぎでゴムホース、管(くだ)を準備した。だが、軍人さんは手を横に振っている。何のことか。手招きされたのでついてゆくと、田んぼの中にジープが転覆していた。これを引き上げるため、馬(農耕馬)が必要だったようだ。ホースは、馬だった。

馬については、私はポニーとホースしか知らない。欧米では、2~4歳のオス馬をコルト、5歳以上をホースと呼ぶそうだ。5歳になると「立派な大人」として扱われるという。メス馬の場合は2~4歳をフィリー、5歳以上をメアというふうに呼び分ける。

件のホースである。スペルトと発音を調べてみた。管が「hose」ホォゥズ。馬は「horse」 ホォー(ル)ス。寿司と、煤(すす)ほどの違いでしかない。伯母を笑うわけにはいかない。

さて。いよいよ年が明けた。ふるさとの山々を拝もうと、玄関に出てみた。メガネが曇って、八甲田の峰々は見えず。恋愛コミックにあるような、ハートの眼をくるくると指で入れてみた。少しは、世界が平和に見えるはずだ。曇りメガネから、ハート型の新年が見える。

馬齢を重ねるごとに時間の重みを感じざるを得ない。「今日という日は二度と戻ってこない」という。果たして、似たような日々はいくらでもやって来る。老齢は、悟る。自分なりにしっかりと悟る。だが、我が人生はすでにアディショナルタイムに入っている。貴重な時間を手にして、全てにおいて、諦めようか、じたばたすべきかと迷っている。暮れの健康診断で、「聴覚にやや問題があります。別のヘッドホンで、もう一度確認しましょう」と言われた。「え?何です?」「だからもう一度です。」「は?」。

逆転は望めないか。馬齢を重ねるごとに若作りのメッキが剥げてくる。