その64「冬来たりなば」

冬来たりなば

 不思議な一年だった。波乱含みの一年が明ける。
哲人いわく。他人様の(心を)変えることはできない。彼を変えるには強制ではなく、対する自分を変えなければならぬ。昨年はそれが実証された一年だった。つまり、みんなが互いにお手本となって、互いに変わってしまったのだ。
 私のようなずぼらな人間でも、手洗い・マスク・うがいが習慣になった。それもマスクは日によって色柄を変えたり、手洗いは、エスニックの手作り石鹸をいくつか買いそろえて香りを楽しんでいたりしている。変われば変わるものだ。
 秋の、恒例の国内旅行は取りやめた。年に一度の娯楽だった私ですらそうなのだ。旅行会社やホテル業界、飲食関係の方々の経済的打撃は容易に想像できる。
 日常的に外食はしない方なので、なかなかテイクアウトには縁がない。いくつかあった行きつけの飲み屋さんは年齢を理由に暖簾をたたんでしまった。お酒はもっぱら家呑みだ。
 大人の事情で、師走にこれを書いている。来年の話をすれば「鬼」が笑うそうだ。素直に赤鬼か青鬼の高笑いをイメージしていたが、こんにちでは鬼の首領、鬼舞辻無惨サマの冷笑を思い浮かべてしまう。渡る世間は鬼ばかりで、かみつかれたら厄介だ。
 虎柄のパンツを穿いた異形の雷サマなどは、どんな経緯で雲の上まで追いやられてしまったものか、彼にも家族があっただろうに。映画「鬼滅の刃」を観た影響で、我が身と重ねて思いをめぐらせれば涙を禁じ得ない。
 変化を好まない保守派の私でも少しずつ生活様式が浸食されてゆくのが解る。来年の「節分」にはどんな鬼が出て、どんな(いでたちで)子供たちが刃を振るう(豆を撒く)のかと想う。振り返ると、善きにつけ悪しきにつけ「流行(はやり)」という言葉が残った。