その66「おばあちゃん考」

おばあちゃん考

 正月明けには、長姉と、次姉とその夫(義兄)、私の4人で食事会を開いている。長姉邸で、そばや寿司入りの豪華弁当を食し四方山話に花を咲かせる。いつものことで、姉たちの言葉が矢のようにびゅんびゅんと飛び交う。立板に水とはこれ。話し上手は聞き上手、などといった君子のたしなみはない。義兄は沈黙し、私は会話に入り込む隙を虎視眈々と狙っている。ゲストの義兄にも話を振らなければならぬ、そんな健気な役割を担っている。
 私は、過去に一度だけ入院生活をしたことがある。一週間ほどの検査入院だった。ベッドは6人部屋の窓辺の一角を与えられた。短期だったので、他の患者とは言葉を交わす機会はなかった。相部屋の方々は相当な年配者ばかりで、仲間に入れなかったこともある。
 時季は年末だ。爺さんたちは「年越しくらいは家さ帰してケだっていがべ。」「若い先生(医者)だから、気ぃ利かネんだ。」「まんず、そったもんだ。」意気軒高だ。そんな彼らも幼い孫を連れた家族のお見舞いには「あぁ、・・よく来たねぇ」と消え入りそうな病人の息遣いを取り戻す。「じぃじ、大丈夫?」海千山千の爺さんは孫の一声で柔和な老爺になり変わる。じぃじの正体はカメレオンなのだ。恐らく、問診での「酒は一日一合です」は三合のことだ。 
話しを戻したい。長姉が言う。雪の轍にはまり自家用車の身動きがとれなくなった。そこへ「おばあちゃん、大丈夫?」と若者が寄って来た。有難いけれども、迷いなく「おばあちゃん」と言われたことが心外だった。七十代半ばで、「おばあちゃん」はビンゴなのだが。
 「七十にして、心の欲するところに従えども矩(のり)を踰(こ)えず。」やりたいことをやっても人の道をはずさなくなった、の意。姉は、どう呼ばれたかったのか?「おばさん」が良い、という。春風のように無邪気なり。じぃじ、ばぁばの実態を見た。ほかならぬ姉だからこそ言う。あなたには鉄漿(おはぐろ)を勧めたい。年輪の重さを示す老木の旗印として。