その78「愛犬シロは、誰のもの?」

愛犬シロは、誰のもの?

 自転車の荷台の段ボール箱に入って、あいつが我が家にやってきたその午後の光景はしっかりと目に残っている。愛犬シロだ。当時流行っていたスピッツの雌犬で、真っ白な、キャンキャンとよく吠える犬種だった。指折り私の年齢を遡ればそれは昭和30年代のこと、記憶の映像は全てモノクロで、棒っくいや釘で地面に絵を描いて遊んだ「土」の時代の景色である。スナップ写真はほとんどない。大体、当時はカメラのある家がない。テレビもない。

 昨年の大晦日は、隣家の叔母宅で年越しをした。いとこらと昔話に花を咲かせていると、懐かしい写真があるという。界隈の風景はすっかり様変わりしてしまったが、時のカーテンを開き来し方を覗き見ると、記憶だけだったものがやにわに現実の輪郭を帯びてゆく。

 その中の一枚が、白い子犬の写真だった。もしやと思い名前を尋ねると、「シロ」だという。「うちの犬だ」と言うので、私も「うちの犬だ」と食い下がった。

 さて。我家と叔母宅の間には、大きくひしゃげた木造の建物があった。農機具などを保管する家屋一軒ほどの建物だった。誰もが自由に出入りが出来、中はもみ殻などが散らばっている安普請の倉庫だった。後年のシロは、その建物の中に居た。叔母宅との中間地点にあったために、シロは、どちらの家の犬ともとれるような位置関係にあった。いつの間にか隣家の犬になっていたとしても、何も不自然なことではない。私に不利な条件として、幼少時の私は、今の家から少し離れた、父母がやっていた雑貨店に住んでいたことだった。 一匹の犬が二軒から「愛犬」として飼われていた可能性がある。重大な親権問題だ。人情として、隣家の犬を強引に奪うわけにもいかないから、涙を呑んで、今、半分だけシロを譲ろうかと思う。人付き合いと同じで、振り返れば、あのワンコには格別良い思いをさせた記憶がない。真実、シロを大切にしてくれていたのならば、和解しようか。半々で良い。