その81「転換期」

転換期

 男子トイレにこんな注意書きがある。「人がいなくても自動的に水が流れることがあります。」夜な夜な聞こえてくる怪しげな水音は、トイレの花子さんではないんだよと、暗に諭してくれているのだ。それ以外にどんな理由があるのか。 

奇怪な逸話がある。…屋内に人の気配はない。不法侵入者は、百均で買った懐中電灯を照らしながら奥へと進んでゆく。硝子窓には、親に顔向けのできないぼんやりとした己の姿が映っていた。防犯カメラはないはずだ。用心しながらさらに奥へと進む。事務室の扉があった。金目のものがありそうだ。匂いでわかる。当てがはずれたら笑って済ませる、あの動物的感というものだ。ドアノブに近づく。と突然、目の前の暗がりから女の声がした。人に近いがそうではない無機質な声だった。ぞっとした。いろんな過去が瞬時に脳裏をかけめぐった。「臆病な鹿は肌で考える」というフランス詩人の箴言や、市井の親父が話していた「泥棒は足で考える」逃げ足が速いという揶揄だった。男は慌てて施設を飛び出した。得体の知れないその声は、耳元で、こうささやいたのだった。「ヒョウメン温度、セイジョーデス。」彼の最大のミスは、時代に追いついていなかったことだった。田舎ではとんと目にしたことがない、人の背丈ほどの「検温機」が作動したのだ。

 世界は大きく変化した。少しの発熱や体調不良でも、まるで腫れ物に触るように「休養」を勧めてくれる。ねんごろに、という言葉がぴったりだ。誰もが、優しさの裏の蔓延防止策だと分かっていても、生まれてこの方、天使の微笑みのようなこんな慈悲深さに包まれたことはなかった。昭和の親父は「それぐらいの熱で泣きごとをいうな」と言っていた。角界では、怪我は稽古で直せ、とも。長く続いた悪夢からその実情に合わせた意識の変化が生まれて、転換期を迎えた。これが定着し、やがて健康管理のひとつとして「居眠り推奨」の時代が来るのかも知れない。(まさか)